<白木屋傳兵衛>中村梅吉さんの「いい話」【第1回:大店の貫録】
東都のれん会という団体がある。江戸期以来100年以上、同一の業を継続していることが唯一の条件で、60年以上前に結成された。ウチは十数年前に声を掛けていただいて入会させていただいたが、大店(おおだな)もウチのような個人企業も、扱い、お付き合いは対等である。民主主義は悪平等だと思っている私は、この会の大店のおおらかさにずーっと驚いてきた。
うぶけやさんの先代さんは「あちらは企業、我々は家業なんだからいいんだ」とよくおっしゃっていたが、これなんかも「いい話」の筆頭に挙げていい話だろう。
いい話を続けよう。江戸時代、徳川吉宗は大岡越前を呼んで、町地の消火対策を命じた。それまで消防は大名火消しなどがあったのだが、町の消火には役立っていなかったので、大岡は町持ちの「火消し組」を結成させた。しかし、公儀は予算を出さない。町々を守るのだから、経費は当然町持ちというのが公儀の理論。
かくて「いろは」組ができ、これが今日の火消し組(鳶)に繋がってゆく。そんなわけで、火消し組の経費は、江戸期は町持ちだったが、明治以降はお上によって専門の消防組織がつくられたので、旧火消し組は職を土木建築に置きつつ町内の仕事もする、いわば自由組織になっていった。さて、山本海苔店さんとお付き合いを始めてまもなくのこと。私は、山本さんのビルの背中にある木造の粋な二階建てが山本さんの町内の旧火消組の頭の家だと知った。これから先は全部私の想像だが、常識的に見て、大旦那の山本さんが町内の頭の面倒をみていたのだろう。
法的には明治で縁の切れた大旦那と頭、それが昭和末期まで続いていたわけだ。私から見ると、それは『大店』の貫禄であり、余裕なのである。
そんな大店とウチのような零細企業が、催しで三越さんへ出店する時は「間口が同じ」なのである。誠に申し訳ない思いでいっぱいなのをお解かりいただけよう。
中村梅吉(なかむら うめきち)  
白木屋中村伝兵衛商店6代目店主。昭和4年(1929)、東京市京橋区宝町3-4(現:中央区京橋3-9-8)に白木屋箒店(現、白木屋中村伝兵衛商店)の長男として生まれる。
区立京橋国民学校(小学校)、東京府立第3中学(現両国高校)を経て、東京外事専門学校(現東京外語大)の蒙古科に入学。蒙古語、中国語、ロシヤ語を習得。昭和37年(1962)から平成15年(2003)まで、6代目店主として家業に勤しむ。
昭和55年(1980)から中央区歴史講座で川崎房五郎氏に師事し、江戸学を開始。隠居後、中央区の文化サポーターや江戸東京博物館ボランティアとして、年間30回以上、講演や街歩きの案内を務めている。
また、東京大空襲の被災者としての証言など、様々な形で江戸—東京の歴史を伝える活動にも関わり続けている。茶道、飛行機模型、手話などなど、趣味も多彩で本格派。

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