【竺仙】
◆浴衣のウラも見せたがる◆
 浴衣が庶民の着物として着られるようになったのは、江戸時代中期。ブームを起こした要因は、意外にも天保の改革の贅沢禁止令。庶民の絹布着用がご禁制となったことにあります。そして、もう一つの要因が銭湯の普及でした。

 江戸の銭湯は江戸幕府が開府されてまもなく登場し、文化10年(1813)頃で約600軒あったそうです。結構多いように感じますが、当時すでに江戸の人口は100万人。一般家庭には風呂などありませんでしたから、多分、脱衣場なども混雑していたことでしょう。が、ここで目立ちたいのが江戸っ子。「倹約令がなんでい、木綿であればいいんなら」と、浴衣の柄に凝るようになりました。なかには、紋付きの浴衣まであったといいますから、驚きます。

 ともあれ、そうした浴衣の究極の一つが、表裏別々に型付けをし、染め上げた本藍染めの浴衣でした。裾が乱れるたび、腕まくりをするたびにのぞく浴衣の裏。表裏を感じさせない出来ばえは、シャイと目立ちたがりの2面性を持った江戸っ子にはぴったりのファッションだったのです。
 
 もしかして江戸っ子が、やたらと啖呵をきったのも、派手なジェスチャーをして浴衣のウラを見せたかったのかもしれませんね。

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