江戸の歳時記|2月 節分
・江戸時代の節分は12月または1月
 節分は、立春の前日。立春は冬至と春分の中間点で、まさしく”春が立つ”日ですから、節分は冬の最後の日ということになります。
もっとも、もともと節分というのは「季節を分ける」ということで、季節の始まりの日、すなわち立春、立夏、立秋、立冬の前日はいずれも節分でした。ただ、1年の始まりを立春付近に求めたことから、いつしか立春の前日の節分が一番重要とされ、現在までその名前が残っているという次第です。
ところで、前述の「旧暦」でいう節分は、だいたいどのあたりに来るのでしょう。正解は「おおむね1月、あるいは12月」。12月の場合は、年内立春と言われました。
・江戸っ子は「節分」の日に何をしたか?
 昔の節分の様子を『東都歳事記』からご紹介しましょう。なお、難しい漢字などは読みやすいように変えてあります。
「今夜尊卑の家にていり豆をうち、ひいらぎ鰯の頭を戸外に挿す。豆をまく男を年おとこといふ。今夜の豆を貯へて、初雷の日、合家是を服してまじなひとす。また今夜いり豆を己が年の数に一ツ多く数へて是を服す。世俗今夜を年越しといふ」
現在でも、節分の日に豆をまいて、自分の年齢より一つ多く食べるという習慣は生きていますし、ヒイラギと鰯の頭を軒下に挿した情景も、時折見かけますね。ただ、「節分の豆が雷よけのおまじないになる」という話は、ほとんど聞かなくなりました。
同じ記録には、浅草寺の節分会や、亀戸天満宮や雑司が谷鬼子母神の追儺(ついな=鬼やらい)のことなども記されています。江戸時代には多くの神社で節分会や追儺式が盛んに行われていたのです。なお、この日は江戸城でも、年男の老中が将軍の休息所で豆をまいたといいます。
節分祭
亀戸天神社【写真:亀戸 船橋屋】
境内に約300本の梅が植えられている。
・豆まきの時、何と言っていますか?
 節分の豆まき。みなさんのご家庭では、何と言いながら豆をまきますか?
「鬼は外、福は内」あるいは「福は内、鬼は外」が、最もポピュラーでしょうか。この変形として「福は内、福は内、鬼は外」と、福は内を2回言うご家庭も多いようです。
それから、意外に多いのが、「福は内、鬼は内」タイプです。鬼を祭神としていたり、鬼が悪を退治したという言い伝えのある寺などは、まずこの方式。東京でいえば、新宿区の稲荷鬼王神社が、この言葉で豆まきを行っています。
また、九鬼さん、鬼頭さんのように名字に鬼の字が入る家も、もちろん福も鬼も家へと招き入れるタイプ。同じく鬼の字が入っている入谷の鬼子母神では、「福は内、悪魔外」と言うそうです。
なお、言い換えもいろいろあって、商家では「大荷(おおに)は内」と、巧みなアレンジ。
ちょっと変わったところでは、福島県二本松市では藩主が丹羽(にわ)氏だったため、「鬼は外」が「オ丹羽ソト」になるのを避けて「おに~そと」と言うそうですよ。

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