江戸の歳時記|4月 新茶
・「新茶前線」北上中
 平成15年度の『新茶前線予想図』です。昨年の秋以降、各地の茶園ではいずれも適度な雨量と気温に恵まれたため、今年の新茶の摘み取り開始は平均的なものと予想しています。(3月14日現在)。【情報提供:山本山】
新茶前線
03/27~:種子島・屋久島
04/06~:大浦・大根占(鹿児島)
04/12~:枕崎・知覧(鹿児島)/御前崎(静岡)
04/18~:溝辺(鹿児島)/宮崎/袋井・小笠(静岡)
04/28~:八女(福岡)/高知/三重/愛知/掛川・本山・富士(静岡)
05/08~:嬉野(佐賀)/岡山/京都/狭山(埼玉)/川根(静岡)
05/15~:岐阜/茨城/島根/朝宮(滋賀)/天竜(静岡)
・お茶のプロフィール
 チャ(茶)はツバキ科の常緑低木で、原産地は中国の雲南省あたりだと考えられています。伝播については諸説ありますが、日本には奈良時代に、ヨーロッパには16世紀に伝えられたとされ、20世紀に入って世界の隅々にまで普及しました。
ところで、お茶には大別して緑茶、紅茶、ウーロン茶の3種類があります。加工の仕方が違うだけで、もとは同じチャの葉。現在、世界の茶の全生産量は約250万トンで、紅茶となるのが約180万トン。緑茶は約60万トン、残りがウーロン茶系のお茶です。茶葉を発酵させずに作るのが緑茶で、発酵させるのが紅茶。ウーロン茶は発酵を途中で止めて作ります。また、同じ緑茶でも、中国緑茶(ジャスミン茶など)は釜炒りをし、日本の緑茶は蒸して作るという違いがあります。
現在、世界一のお茶の生産国はインドで、2位の中国・台湾と合わせて、世界の生産量の約半分を占めています。以下、スリランカ、ケニア、トルコ……と続き、日本は第7位。
国内生産量では静岡県が第1位で、全国の生産量の45%を占めています。
お茶のプロフィール
お茶のプロフィール
・お茶の普及は、源実朝の二日酔いから?
 お茶を日本に伝えたのは、遣唐使によるとする説が一般的です。しかし、お茶を一般に広めるきっかけをつくったのは鎌倉時代の二人の僧、臨済宗の始祖である栄西と、華厳宗の中興の祖・明恵でした。
栄西は、宋から持ち帰ったチャの種を九州の背振山(せぶりやま)に播き、京都に建仁寺を建立した後の承元5年(1211)には『喫茶養生記』を著し、茶の栽培法から製法、薬効、飲み方まで、細かく記しました。
また、明恵は栄西から茶の効用を教わり、種を譲り受けて、京都・栂尾(とがのお)の高山寺に播きました。以後200年にわたって高山寺周辺一帯は、茶の名産地となり、そこでとれたお茶は「本茶」と呼ばれ、その他の場所で栽培されたお茶を「非茶」と呼んで区別するほどになりました。狂言『茶壺』に出てくる名茶も、この坊のお茶です。
ともあれ、お茶は趣向品というよりも、まずは「薬」として広まりました。鎌倉時代の記録書である『吾妻鏡』には、源実朝が宿酔(二日酔い)の際、栄西禅師が献じたお茶を飲んで、たちまち治ったとの記述があります。この評判も伝わったのでしょうか、お茶はまずは上流階級の間でもてはやされることになりました。
お茶の普及
お茶の普及
・江戸時代のお茶
 貴族や武家、さらに上流階級へと浸透していったお茶ですが、一般庶民がお茶を楽しむようになったのは、元禄3年(1690)の利休百年忌が一つのきっかけになったといわれています。
やがて、行楽地や街道沿いに、鉄瓶や茶釜などでお茶を煮出して飲ませる茶店が登場。
18世紀の中頃には、店の奥に貸し座敷を備えたものも現れ、お客の相手をする美女もおかれるようになりました。もちろん、そうした店のお茶は、一般の茶店の10倍、20倍の代金をとるわけですが……。
ところで、江戸時代中頃までのお茶は、私たちが今飲んでいるような美しい緑色のお茶ではなく、赤茶色をしていました。茶の葉を新芽も古葉もかまわずに摘んで、釜で煎ったり煮たりしたものを干し、煎じ薬のように煮出していたからです。
これを一気に変えたのが京都・宇治の永谷宗円という人でした。宗円はお茶の葉を蒸し、手もみで乾かしていく方法を発明。そして、このお茶を保守的な京都ではなく、江戸へ持ち込みました。この新製法に目をとめたのが日本橋の山本家(現在の山本山)の4代目。
美しく、香り高いお茶は爆発的にヒット。以後、この緑茶が主流になっていきました。
江戸時代のお茶
・江戸の名物「奈良茶飯
 お茶が一般的になると、名物料理も登場しました。『蜘蛛の糸巻』(弘化3年/1846)という随筆によると、「天和のころ(1681~83)、始めて浅草並木に奈良茶店の店ありしを、諸人珍らしとて、浅草の奈良茶飯喰はんとて、わざわざ行きし由……」とあります。
“奈良茶飯”の作り方は、店によって少しずつ違ったようですが、煮出したお茶で米と煎った大豆を炊いたものが一般的で、塩味をつけていたようです。
奈良茶飯はあっという間に広まって、江戸の近郊にも店ができました。江戸のベストセラー『東海道中膝栗毛』では、弥次さん喜多さんが川崎大師近くの「万年屋」という店で、奈良茶飯を汁とともにかきこむように食べる情景が描かれています。

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