江戸・東京散歩
第8回 日本橋(3)
今回の散歩は、日本橋の東に走る昭和通りを東側に越えた一帯。日本橋小伝馬町・大伝馬町・小舟町・人形町・蛎殻町など、江戸の香りを今に伝える町名が次々に現れます。江戸時代には大店が軒を連らね、さまざまな工芸文化が生まれ、そして歌舞伎が練り上げられていった地域。ビルの間に残る江戸以来の商家の毅然とした古きよきたたずまいも必見です。今回はいつもと趣向を変えて、それぞれの町についてもご紹介します。
■大伝馬町(おおでんまちょう)
 大伝馬町は、もとは現在の皇居・呉服橋あたりにありました。伝馬とは馬の背に荷物を積んで宿から宿に送る制度で、その役所が江戸城の呉服橋門内にあったのです。その後、慶長11年(1606)に隅田川河口が埋め立てられ、現在の地に移転。 その後の大伝馬町は、問屋が軒を並べる一大商業地に発展していきました。掘割がめぐらされ物資運搬の便がよいことから、伊勢をはじめとする地方の大きな商家がこの地を江戸店を置く場所として選んだのです。木綿や布地の問屋が多かったので「木綿店(もめんだな)」とも呼ばれ、その賑わいぶりは『江戸名所図会』にも描かれています。
■宝田恵比寿神社
 大伝馬町にある神社で、もとは宝田村の鎮守として皇居前にありました。商売繁盛、家族繁栄、火防の神として古くから篤い信仰を集めており、祭壇中央に安置されている恵比寿さまは、慶長11年、三伝馬取締役の馬込勘解由が徳川家康から受けたもの。運慶作とも、左甚五郎作とも伝えられています。 ビジネス街のビルにはさまれて普段はひっそりとしていますが、毎年10月19・20日の大祭(恵比寿講)には縁日「べったら市」が催され、大賑わいに。べったら市については【老舗の知恵袋/江戸の歳時記】の10月の項も参考にしてくださいね。
宝田恵比寿神社。「べったら市」が有名ですが、お正月は日本橋七福神詣の人々がお参りの列を作り、1月20日の初恵比寿にも屋台も出て、とても賑わいます。
■伝馬町牢屋敷・吉田松陰終焉の地(十思公園)
 小伝馬町の交差点の北東角を裏へまわりこむと「中央区立 十思公園」という小ぢんまりした公園があります。ここが、時代劇でもおなじみの「伝馬町の牢」があったところ。 安政の大獄(1858)でとらえられた吉田松陰も、ここに投獄され、刑死。園内に「吉田松陰先生終焉之地」の石碑があり、「身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置まし大和魂」の辞世が刻まれています。 牢屋敷がここに設けられたのは慶長年間(1596~1615)のことで、明治8年に市ヶ谷に囚獄ができるまでの約270年間で数十万人が投獄され、1万人以上が刑死したと伝えられています。 十思公園の入口に建つ大安楽寺は、明治になって牢屋敷跡地が公園となったものの、人々が寄りつかず荒廃していったため、大倉組(大成建設の前身)の創立者大倉喜八郎と、安田銀行(みずほ銀行<富士銀行>)の創立者安田善次郎が費用を出して明治15年に建立した寺。 また、園内には江戸の「時の鐘」の一つである「石町(こくちょう)の鐘」も保存されています。刑がある日には、少し遅く鐘をついたと伝えられています。

(左画像)十思公園の入口にある大安楽寺。
(中央画像)公園内に建つ「吉田松陰先生終焉之地」碑。
(右画像)十思公園は、サラリーマンやOLが集う緑豊かな公園。鐘楼に吊り下げられている「石町の鐘」は、宝永8年(1711)の改鋳にされたものです。
■小舟町(こぶなちょう)
 大伝馬町の南側にあたる小舟町も、同じく舟運の要地であり、大きな商家や問屋が軒を連ねる繁華な地でした。呉服などの繊維関係はもとより、書籍や刷り物、版木を扱う店、鼈甲、化粧用具、文具、金物、小間物店などなど、江戸っ子の粋をささえる様々な工芸が、ここから生まれたのです。 明治の財界の雄、安田善次郎が慶応2年(1866)、ここに両替業「安田商店」を開いたのも、このエリアが活気あふれる商いの町だったからこそ。金融業や実業界の大物たちが住む場所でもありました。 なお、昭和になって小舟町に編入された町で、昔「堀江町」と呼ばれていた町は、多くの団扇(うちわ)問屋が集まる街でした。特に寛政年間の後から色刷りの歌舞伎絵が描かれるようになると、江戸中の女性が錦絵の団扇を争って求めるほどの大ブームに……。安政3年の史料によると、ある団扇問屋が下級武士たちに内職として出した団扇張りの本数は1年間に192万5000本。当時の団扇ブーム、浮世絵ブームがわかりますね。広重や北斎なども団扇のために絵を描いたそうですよ。 もう一つオマケに、堀江町の一角にあった「照降町」と呼ばれた町のご紹介も。これは江戸時代、下駄や傘、雪駄を売る店が並んでいた通りにつけられた愛称です。「てりふり」とも「てれふれ」とも記されていますが、いずれにしても「雨が降れば傘や下駄が売れ、晴れた日には雪駄が売れた」町でした。 江戸っ子のネーミングセンスは、粋ですね。
安田銀行(みずほ銀行<富士銀行>)の創業地跡。「小舟町記念館」の名前が出ていますが、公開はしていません。東隣に、みずほ銀行小舟町支店があります。
■人形町(にんぎょうちょう)
 人形町は、江戸初期から遊郭と芝居小屋街が融合した歓楽街として発展した町です。遊郭とはいうまでもなく吉原のことで、明暦の大火(1658)後、遊郭が浅草の一角に移るまで、ここが江戸最大の遊興の地として栄えました。 また、町名の由来となったあやつり人形の芝居小屋や、歌舞伎小屋も集まっており、天保の改革でこれまた浅草に劇場街が移されるまでの200年間、人形町が江戸のエンタテインメントの中心として栄えました。人形町の交差点の東北側の歩道にある「玄冶店(げんやだな)」の説明版も芝居ゆかりの場所。「粋な黒塀、見越しの松に・・・」の歌謡曲でも有名になった歌舞伎『与話情浮名横櫛』お富・与三郎の再会の場です。 なお、明治に入ると芳町、浪花町(現在の人形町2丁目あたり)は芸妓の置屋やお茶屋が集まる、一流の花街となりました。日本の女優第一号・マダム貞奴も、“粋でおきゃんで芸がたつ“ともてはやされた芳町芸者の一人でした。
人形町交差点の近くにある「ジュサブロー館」。着物デザインや舞台の衣装デザイナー&アートレクターとしても知られる人形師・辻村ジュサブロー氏の人形が展示されています。 http://www.konishi.co.jp/html/jusaburo/index.html
「谷崎潤一郎生誕の地」のレリーフ。この場所は、谷崎潤一郎(1886~1965)の祖父が経営していた「谷崎活版所」の跡。人形町の「甘酒横町通り」沿いにあります。
■水天宮
 ご存知、安産・子育ての神様として有名なお社です。文政元年(1818)に有馬頼徳(よりのり)公が領地である久留米水天宮の御分社として三田の赤羽橋に創建したのが始まりで、明治5年に、ここに移されました。 参拝した妊婦さんが、鈴を鳴らすさらしの紐のおさがりをいただいて腹帯としたところ安産だったといううわさが広まり、以後、安産利益の神様として広く信仰されるようになったそうです。 普段の日でも子ども連れのほほえましい参拝光景が見られますが、とくに毎月5日の縁日の日と戌の日は、安産祈願や子授け祈願の人たちがたくさん訪れています。
水天宮は安産の神様。身重の人を気遣って、エレベータも設置されています。
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