<白木屋傳兵衛>中村梅吉さんの「いい話」【第14回:歳時記:5月】

風薫る5月。5月といえば「端午の節句」。私は第2子(末子)として生まれたのだが、上が女であったため、姑(祖母と曾祖母)に「ぜひ男を!」と迫られていた母は、私が生まれて、安心して気を失ってしまったという逸話を残す。
祖父が梅次郎(長男なのに次男のような名前をつけると長命という迷信による)、父が勘吉で、2人の名前から1字ずつ取って「梅吉」となった。男の子は育ちにくいとよく言うが、風邪をひいてぜいぜい言うたびに医者から「助からない」と何度も言われたという。
そんな私の初節句の折、絵描きさんが来てショウキ(鍾馗)の絵をすすめたという。頼んだところ、出来上がって持ってきた絵に足がない、というか霞んでいる。祖父は「お化けのようでいやだ」と言ったそうだが、ともあれ「足なしショウキ」はそのままウチに伝わり、小さい鎧と共に疎開されて今日に在る。そのお陰か、私は84歳まで生かされたのだから、功績は大と言うほかない。北斎のショウキに「足なし」を見たことがある。この絵描きさんも北斎の絵を見ていたのかもしれない…。

夏も近づく八十八夜は、立春から88日目の雑節で、だいたい5月1日か2日にあたる。「八十八夜の別れ霜(もうこの先、霜は降りない)」といって、下町では朝顔の種を播く。
食べ物で5月といえば「初鰹」。江戸の庶民が熱狂したと聞く。だが、叔父が場内の魚屋で、ウチではそのルートの魚しか食べなかったが、カツオなんか食べたことがない。叔父に言わせるとその時期は「旨くない」のだと。
江戸の川柳に、「江戸橋はくぐらぬという松魚(かつお)かな」の句がある。日本橋の一つ海側の橋が江戸橋で、ここで降ろされたカツオは新場(魚市)で、町人が全部買ってしまうので、武士の口には入らない(日本橋の先には行かない)、という町人の意気を詠んだ句だ。
もう一つ、5月29日はゴ・フ・クで呉服の日なんだそうだ。中国の「呉(ご)」の服だから呉服。公儀は長崎奉行を介して生糸や絹織物の輸入を始めたが、これらを独占的に扱ったのが一石橋(いっこくばし)の南に屋敷があった後藤縫殿助(ぬいのすけ)。一石橋の北には金座で小判の鋳造を手掛けた後藤庄三郎がおり、この2軒が一石橋の建造(再建)の折に援助をしたことから、後藤と後藤(五斗と五斗)を合わせて、“一石”橋の名がついたと聞く。
今日はここまで。

中村梅吉(なかむら うめきち)
白木屋中村伝兵衛商店6代目店主。昭和4年(1929)、東京市京橋区宝町3-4(現:中央区京橋3-9-8)に白木屋箒店(現、白木屋中村伝兵衛商店)の長男として生まれる。
区立京橋国民学校(小学校)、東京府立第3中学(現両国高校)を経て、東京外事専門学校(現東京外語大)の蒙古科に入学。蒙古語、中国語、ロシヤ語を習得。昭和37年(1962)から平成15年(2003)まで、6代目店主として家業に勤しむ。
昭和55年(1980)から中央区歴史講座で川崎房五郎氏に師事し、江戸学を開始。隠居後、中央区の文化サポーターや江戸東京博物館ボランティアとして、年間30回以上、講演や街歩きの案内を務めている。
また、東京大空襲の被災者としての証言など、様々な形で江戸—東京の歴史を伝える活動にも関わり続けている。茶道、飛行機模型、手話などなど、趣味も多彩で本格派。