大旦那のちょっといい話:<細田安兵衛さんの巻(2)>【酉の市と江戸の“ピリリ”】
■プロフィール
細田 安兵衛(ほそだ やすべえ、1927-2021)
東京日本橋生まれ。榮太樓總本鋪 第6代社長、相談役。幼名は恕夫。6代 東都のれん会会長。
茶道宗遍流時習軒11世家元。慶應義塾幼稚舎から同大学(昭和25年)卒。
全国和菓子協会名誉顧問、東京商工会議所名誉議員、名橋「日本橋」保存会副会長ほか日本橋地区の各種団体役員を歴任した。
中央区名誉区民、藍綬褒章受章、勲四等瑞宝章受章。著書に『江戸っ子菓子屋のおつまみ噺』(慶應義塾大学出版会刊)。

 

みよちゃん 細田さん、11月になりました。東京の11月の風物詩といえば、「お酉さま(酉の市・酉の町)」ですね。
(細田) 「酉の市」と聞くと、年の瀬が迫ってきたなと感じるねえ。関東地方特有の行事で、江戸の雰囲気を楽しむには絶好の機会。観光客の方々にもおすすめです。
みよちゃん 江戸時代には、酉の市発祥の地とされる足立区の花畑・大鷲神社の「大酉(本の酉)」、千住の勝専寺の「中の酉」、そして浅草長國寺の「新の酉」がにぎわったそうですが、なかでも浅草の酉の市は年々盛大になっていったとか。
(細田) なにしろ東隣が「新吉原」だったからね。浮世絵にも、当時の様子が華やかに描かれていますよ。
もちろん今も、毎年すごい人出で、地続きの長國寺と鷲(おおとり)神社の境内は、朝から真夜中まで開運招福・商売繁盛を願う人たちでいっぱい。
名物の「縁起熊手」を売る屋台もぎっしり並びます。買い手と売り手が、買った(勝った)、まけた(負けた)と気風のよいやりとりをして、商談が成立すると「イョーッ」と掛け声も威勢よく三本締め。値引きしてもらった額を「ご祝儀」として戻す、なんていう粋な光景も、酉の市ならではの見ものだよ。
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みよちゃん なるほど! 値切りに値切って「安く買った!」なんて喜んでいるのは江戸の「粋」には程遠い、と。
(細田) そうです、そうです(笑)。
ところで、榮太樓では戦前まで、一族の男子や年季奉公中の小僧さんが数えで17歳になると、「二の酉」の日に「元服の式」を行っていたんだ。これは初代(3世安兵衛)の元服で、「二の酉」の日に鷲神社におまいりして、吉原を通って帰ったら、翌日から商売が大繁盛したというので、以後も縁起を担いでそれにならうようにしたようなんだけど、ちょっと珍しいだろ?
父の代までは、吉原見物のあと江戸以来の料亭「八百善」で食事をし、帰路はその庭先から屋形船に乗り込んで、川伝いに日本橋川に入って帰宅したと聞いている。
私も昭和18年(1943)11月の「二の酉」の日に、久留米絣の着物と羽織を着せられて鷲神社に参詣。「かっこめ」と呼ばれる稲穂とお札のついた熊手を授与されて帰ったのを覚えてるよ。でも、吉原は廃業してたし、太平洋戦争の真っ最中だから、八百善も休業中……。
みよちゃん それは、ちょっと残念でしたね(笑)。
(細田) ところで、酉の市といえば、名物菓子「切山椒」の話をしておかなくちゃ。上新粉に砂糖と山椒を加えた生地を蒸して搗き、薄くのばして5~6cmの拍子木に切って作る餅菓子です。酉の市の名物の一つとして、境内で「おたふく」の絵を描いた紙袋に入れて売られているよ。
みよちゃん かすかな山椒の風味が、いいアクセントになっているお菓子ですね。私も大好きです。
それにしても、山椒は、若葉は「木の芽」として料理にあしらわれ、青い実は佃煮に、その実が熟して硬くなると殻を粉にして粉山椒にと、ほんとにいろんな形で使われる食材ですね。粉山椒は江戸名物の鰻の蒲焼に欠かせませんし、これも江戸発祥の七味唐辛子の「七味」の一つとしても大活躍!
(細田) 山椒の“小粒でもピリリ”とくる独特の辛味や香りが、江戸っ子の好みにあったのかもしれないね。
みよちゃん 今年の「酉の市」は、三の酉まで(2008年は5日、17日、29日の3回)。熊手と「切山椒」と幸運をゲットしに行ってきまーす。

 

聞き手:太田美代

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