江戸の歳時記|7月 朝顔市
・朝顔市(入谷鬼子母神)
 7月6・7・8日の3日間、入谷鬼子母神(真源寺)と、その周辺は、朝顔市に訪れる人で大賑わいとなります。
 朝顔は、奈良時代に薬用植物として中国からもたらされ、当初の花は青色だけだったのだそうです。やがて花の愛らしさが注目されるようになり、文化年間の初め頃から、下谷御徒町あたりで植木職人が栽培を始め、変種や珍種が育てられるようになりました。
 そして、文政年間(1818~30)、嘉永・安政年間(1848~60)、明治15年(1882)~大正の初めにかけて、3度の朝顔ブームが湧き起こりました。朝顔は、浮世絵などにもしばしば登場する、江戸・東京の夏の風物詩となったのです。
 なかでも明治中期の入谷に出た植木師・成田屋留次郎の朝顔は、変化咲で一世を風靡。さらに成田屋は京都や大阪から珍品を集めて図説を作るなど、朝顔紹介のプロデューサーとして活躍し、入谷の朝顔を世に喧伝しました。
 ところが、入谷あたりの市街化が進んだため、植木屋の多くが移転。さらに第二次世界大戦の戦火によって、朝顔は一時、東京から姿を消してしまいます。地元の有志が復活を考え、かつて朝顔を栽培していた職人たちに依頼して入谷の朝顔が復活したのは、昭和22年のことでした。
 「恐れ入谷の鬼子母神」で始まる太田蜀山人の狂歌で知られる、入谷鬼子母神。安産や子育ての神様として知られ、参詣客のたえないお寺ですが、朝顔市の開かれる3日間は、境内や参道に100店を超す朝顔の鉢を売る店が並び、とりわけ明るい光景に包まれます。

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