【ちくま味噌】
◆永代橋のたもとで◆
 当店は、元禄元年に永代橋のたもとで創業。以来、三百余年、この場所で商いを続けてまいりました。長い月日の間にはさまざまな事件があり、西郷隆盛、勝海舟といった方々との出会いも、この橋のたもとの地で生まれたもの。本日は、そんななかから永代橋にまつわるお話を、もう少し。
最も象徴的な話といえば、赤穂浪士が吉良邸討ち入りのあと当店で甘酒粥を飲んで一服し、永代橋を渡って泉岳寺へ向かったというエピソードでしょうか。異形の浪士たちを迎え入れたのは、初代と赤穂浪士の一人、大高源吾が俳諧を通じた友であったことに加え、この日がたまたま棟上げ式で、早朝から店の者が揃っていたということがあるようです。偶然といえば、偶然。できすぎかもしれません。しかも、大高源吾が看板を書き置いていったことで、当店はしばらく江戸の名所の一つとなってにぎわったそうです。その後、赤穂浪士の話が歌舞伎「忠臣蔵」となり、現在まで語り継がれているのはご存知のとおり。
もう一つ、永代橋といえば、文化4年の富岡八幡宮大祭の日に落橋し、500人とも2000人ともいわれる多数の死者を出した事故がありました。将軍家が船でお参りすることになったため、橋の手前では船が通過するまで交通を遮断。そして、通行止めがとかれた途端、橋のたもとにいた人々がどっと押し寄せ、その重量に耐えかねて橋が落ちたのです。この出来事もまた、歌舞伎や落語になりました。事件や大惨事を歌舞伎や落語に仕立てたのは、悲劇を別の形で悼み、また、話を楽しみ、笑うことで、明日へのエネルギーに替えようとする江戸っ子の知恵だったかもしれません。
江戸時代の永代橋は、もちろん木製の橋。現在の場所よりも150mほど上流にあったそうですよ。
味噌
ちくま味噌
●中央区日本橋大伝馬町2-16
(地下鉄小伝馬町駅から徒歩2分)
●03(3664)5671

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