江戸の歳時記|6月 山王まつり
・巡幸は2年に1度
 山王(さんのう)まつりは、千代田区赤坂にある日枝(ひえ)神社の祭礼。祭りは日枝神社例祭ならびに神幸祭とその附祭を総称したもので、夏越(なごし)大祓神事や稚児祭りなどを含みながら毎年6月10日から16日まで行われます。
なかでも最も大切な祭儀が、15日に催される国の安泰と人々の平安を祈願する「日枝神社例祭」。太田道灌公が川越の山王宮を江戸城の守護神として再勧請・鎮祭したのが文明十年(1478)のこの日で、以来、五百有余年、祭儀が続けられてきました。
一方、山王まつり最大の祭儀が、豪華な行列が繰り広げられる「神幸祭」です。御鳳輦2基・宮神輿1基・山車3基が、王朝装束に身を包んだ総代役員や氏子たちに供奉されながら、氏子区域を巡幸。その数、約500人。華やかな行列は600mにも及びます。
なお、この神幸祭の巡幸は2年に一度で。次回は平成16年に行われます。■問合せ先 日枝神社 http://www.hiejinja.net/
・山王まつりと半「象」門
 江戸時代の祭りは、山車(だし)が主役。なかでも最も壮観にして美麗といわれたのが、山王まつりの山車行列でした。
日枝神社が徳川将軍家の産土神となり、氏子地域が 「南は芝を限り、西は麹町、東は霊巌島小網町堺町の辺を限り、北は神田に至る」(『東都歳時記』))と、江戸中心部をおおう規模にまでふくらんだことで、祭りを彩る山車行列も壮麗を極めたのです。
祭りでは45を超える山車や手踊り屋台が曳かれ、その前後には着飾った少女たちや、花笠をかぶり袴姿に小刀をさした旦那衆、さらには威勢良く肌脱ぎをした職人の親方などが華やかに行列したといいます。
ところで、こうした山車には、それぞれ人形を飾るなどの意匠が凝らされていましたが、麹町の「象」の曳き物はとりわけ巨大で、将軍の上覧に供するために江戸城内に入ろうとしたところ、半分しかくぐることができなかったとか。そこで、この門は半蔵(象)門になったとか。
……とは、この象の曳き物の派手さを喜んだ江戸っ子たちの洒落。門の名の本当の由来は、その昔、ここに服部半蔵が住んでいたからですが、こんな洒落が生まれたのも江戸の祭りの賑いを表わしているようで楽しいですね。

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