| 【お問合せ】 男性 年 齢 = 60代 職 業 = 会社員 ご質問・ご意見 = 人形町「うぶけや」さんの、ショーウインドーの中にある、維 新の頃から明治の初めと題した、「大江戸趣味風流名物くらべ」に興味があり調べて います。 実は、この版画を我家でも持っておりまして、もちろん、我家の屋号も載っております。 東都のれん会の皆様の中に、この版画の出所、言われ、いつ頃作成され た物かを、ご存知であれば、教えていただきたいと思います。 もちろん、「うぶけや」 さんには直接お尋ねしましたが、定かになりませんでした。 宜しくお願い致します。 ●【回答】 ****様 お世話様でございます。 先日は、東都のれん会のホームぺージにおいてお問合せ頂き、誠にありがとう存じます。 お問い合わせの件につきまして、以下のように回答させて頂きます。 羽二重団子社長 澤野修一氏より、先代様から伺って頂き、談話として以下の情報をお送り頂きました。 (澤野氏情報) 東都のれん会が昭和26年2月88日に発足してまもなく、今はもう退会・廃業された、和菓子「ちもと」さんが所有されていた原本を、駒形どぜう 渡辺繁三氏が借りてこられ、祖父5代目庄五郎に見せてくれた。 祖父はコピーのない時代ゆえ、しばらくお借りして、一生懸命筆で書き写したものを完成させたが、ご覧になった渡辺氏の発案で、「いっそのこと復刻したらどうか」 という話になった。 旧知の田辺柏葉氏にも依頼し、数年かけて版権などの調査をしたが、とうとう分からなかった。 作者「松本愚想」という人物もよく分からなかった。 そこで、渡辺繁三氏の音頭取りにより、この番付に登場する、東都のれん会の会員店にお声かけをして賛同を得、日暮里に住んでいた摺り師の関岡扇令氏に依頼し、復刻した次第。したがって、出所、作者、年代については、不明ということになります。 (終わり) また、『大江戸趣味風流名物くらべ』(吉村武夫著、西田書店、昭和51年)という本があることが分かりました。それによれば、「明治の中葉、松本愚想という人が東京の特長のある店や庭園、人物を、足で探しまわって書き上げたもので、浅草、日本橋、上野周辺が多いのも、当時の江戸時代の趣を残している。(中略)知人の芋坂の羽二重団子の先代の庄五郎氏からいただき、調べるともなく追いかけているうちに、この仕事が大変重要な意味をもっていることに気がついた。」との記述がございます。 従いまして、澤野氏が書いておられますように、この版画の出所、言われ、いつ頃作成された物かにつきましては、上記の内容が精一杯で、たいへん恐縮ではございますが、明確なお答えができかねます。 何卒ご了承の程、お願い申し上げます。 今後共、「東都のれん会」ホームページを何卒宜しくお願い申し上げます。 時節柄、くれぐれもご自愛下さい。 東都のれん会ホームページ担当 【お返事】 東都のれん会ホームページ担当 様 この度は、私の突然の問い合わせにも係わりませず、ここまでお調べいただき、即答同様の御返事をいただきまして大変感謝 申し上げます。 澤野様の「思い出し記述」から、多分、我家にあります「大江戸趣味風流名物くらべ」は、父が、昭和30年代前半に手に入れたものと、記憶しておりますので、復刻版と思われます。 しかし、この版画を六つ折にして収めたと思われる封筒に、江戸○○住 松本愚想作とありますので、調べを進める興味は尽きません。 現品は実家に在り、写真を撮っておりますので、「東都のれん会」で、御覧になられことがありましたら、先ず、添付ファイルにて送らせて頂きます。ご入用の節はお申し出下さい。 今は無き、「みそや 妻恋坂 いせ利」が、昔の屋号でございます。 澤野様へも御礼申し上げます。お伝えください。 ご丁寧なる御返事、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。 皆様からのお便りお待ちしております。 下記ボタンよりお送りください。 |
| ■鏡割りについて教えてください【ペンネーム:Mr.ミタさんより】 先ごろ、六大学野球2004年秋季リーグ戦で慶應大学野球部が優勝を決めました! 早稲田との試合に勝って優勝が決定しただけに、その夜、構内で行われた祝勝会は学生はもちろん、私たち近隣の者も集まって大盛り上がりでした。 ところで、その際、壇上で鏡割りが行われたのですが、その樽酒が「金婚」でした。豊島屋本店さんのお酒ですね? そこでお伺いしたいのですが、鏡割りというのはいつ頃から始まったのですか? そして、おいくらくらいのものなのでしょうか? ちなみに、祝勝会での鏡割りは、選手や監督、学長さんたちがバットで割って、大ウケでした。 ●お答えします【豊島屋本店】 まずは慶應義塾大学野球部優勝、おめでとうございます。 さて、おたずねの件ですが、まずはお酒の話から。 ・鏡割りと酒樽 古来より、日本酒は神事を営む際のご神酒として供えられ、祈願後は参列者が酒を酌み交わし、祈願の成就を願うことが習慣となっておりました。ご神酒が樽で供えられた場合は、樽の蓋を開いて酒がふるまわれました。 この酒樽の蓋が丸く平らであることから「鏡」と言われ、蓋を割って開くことを「鏡割り」と称しました。ただし、おめでたい席では忌み言葉の「割る」を避け、運を開くにちなんで「鏡開き」の方がより正しい呼称のようです。お正月に鏡餅を割って食べる「鏡開き」も同様で、新たな門出に際し、幸福を祈願し、その成就を願うものです。 そこで、肝心の「鏡開きがいつ頃から始まったか」についてですが、明確な記述は見つかりませんでした。ただ、少なくとも室町時代には酒樽はあったようで、現在のような「菰(こも)樽」が完成したのは、江戸時代、「樽廻船」で灘などから江戸に「下り酒」 として酒が運ばれた頃のようです。 ・樽の種類 鏡開きは、1斗樽(18リットル)・2斗樽・4斗樽の3種類の樽が使われるのが一般的です。ただ、最近は“上げ底”の樽も多く使われます。 たとえば、樽の大きさは2斗でも中の酒は1斗しか入っていないといったもので、樽は4斗で酒は1斗という「超上げ底樽」もあります。 価格は、蔵元によって異なるとは思いますが、弊社では上撰酒(旧1級酒)を入れた場合、定価ベースで1斗が36,645円、2斗が64,785円、4斗が112,350円(税込)。 慶應大学の「バットで鏡開き」には驚きましたが、これからも新築祝いや創立記念日、結婚披露宴など、さまざまなお祝いの席で、おごそかで美しい“日本の祝いのかたち” を楽しんでいただければと存じます。 皆様からのお便りお待ちしております。 下記ボタンよりお送りください。 |