◆花火のスポンサー◆
享保年間(1716−35)も後期になると、大川では川開きの日だけでなく、納涼期間中、夜ごと花火が上げられるようになりました。町人の経済力が増し、大店(おおだな)の旦那衆が花火のスポンサーになったからです。
旦那衆の豪遊ぶりは芝居などにも取り上げられるほど豪華絢爛なものでしたが、なかでも一瞬の輝きに大金を出す花火は、その主人の粋ぶりや店の繁盛ぶりを見せつける格好の余興でした。旦那衆が涼み船に乗って大川に繰り出すと、たちまち花火を売る花火船が集まってきたといいますから、営業合戦も宴に華を添えたことでしょう。ちなみに、船を仕立てると5両、花火1発の相場は1両だったそうです。一方、大川沿いに下屋敷を持つ諸大名も、「商人に負けてはならじ」と、競って花火を打ち上げるようになりました。 |