|
|
||||||||||||
染物・呉服 |
||||||||||||
|
||||||||||||
![]() ![]() 初代仙之助は背が小さく皆から「ちび仙」と呼ばれていた。これが通り名となり、自ら屋号として「竺仙」と称した。 古代模様や裂地の文様などを研究し、江戸小紋や中形の本染浴衣を世に出して、江戸っ子の人気を博した。 二代目なきあと職人達の懇請により、光甫が三代目を継ぎ、戦後は初代竺仙のゆかりの地浅草に店舗を構えたが、四代目の時に日本橋に移転した。 この竺仙染は徳川寛永の頃より伝わる極く精緻な文様と型紙によってつけ(糊置)から植物染手法と、すべて職人の鋭敏な勘だけで行われている。 とくに、竺仙では、先代が好んだ正倉院文様、宗達・光琳一派の文様の創作再現に意欲的であるとともに、”ゆかたはファッション”と位置づけ、現代感覚に合うゆかたづくりを展開し、ブームに先鞭をつけるなど、創造的な竺仙を たえずめざしている。 「東都のれん会 しおりから抜粋」
|
||||||||||||
|
||||||||||||