おうちで学ぼう

老舗のあるじが語る「各店よもやま話」。今月は、おなかも心もあったまる料理とおもてなしが嬉しい「駒形どぜう」と「笹乃雪」の2軒のお話です。
 

 
■大きな「鯨」と小さな「どぜう」 <駒形どぜう>https://dozeu.com/
dojyo

初代、越後屋助七が武州(現在の埼玉県)北葛飾郡から江戸に出てきて奉公を積み、ささやかな店を開いたのは享和元年(1801)のこと。それから、220年もの間、ご愛顧をいただいて参りました。ありがとうございます。
なんといっても、商いはお客様あってのことですが、長く続けてこられたのには、やはり「どぜう」という看板料理があったからにほかなりません。でも、当店にはもう一つの看板メニューがございまして、それが「くじら鍋」です。
くじらを出すようになったのは、2代目助七の時からです。どぜうに並ぶ名物はできないものかと考えた助七は、ある日「どぜうが一番小さい魚なんだから、一番大きな魚を売ってみたい」と思い立ちます。今の人に言わせれば「鯨は魚じゃないよ」と笑い飛ばされるところでしょうが、なにせ当時のこと。愛嬌のある発想だったのではないでしょうか。
2代目が店を譲り受けたのは1840年。天保の大飢饉の直後で、幕府政治が崩壊し始めた時期。商売が難しい時代でした。そんななかでの「くじら料理」は、せめて料理で楽しい夢を描きたいという助七の気持ちを形にしたメニューだったのかもしれません。

◎駒形どぜう/東京都台東区駒形1-7-12

 

■恋人は赤穂浪士 <笹乃雪>http://www.sasanoyuki.com/
akaho

本日は、当店の伝説ともなっている切ない恋のお話をいたしましょう。

時は元禄14年12月14日。ご存知、赤穂浪士の討ち入りがございました。主君の仇討ちを果たした浪士たちは4カ所の大名屋敷にお預けとなったのですが、そのうち大石内蔵助以下17人が預けられたのが細川様のお屋敷。そこに、当店の豆腐が届けられました。上野輪王寺の宮、公弁法親王様のお心遣いです。

当店は、初代玉屋忠兵衛が親王様について京都から江戸へ移ってきたという縁があり、こうしたお使いも珍しいことではなかったのですが、この時届けられた豆腐には、別の思いも込められていました。実は、娘のお静が細川家お預けの赤穂浪士の一人、磯貝十郎左衛門に心を寄せていたのです。
出会いは、お静が雪道で足をとられ、滑りそうになったのを十郎左衛門が助けた時。そして、十郎左衛門が俳人の宝井其角に連れられて来店したことで、再会します。その後も十郎左衛門はたびたび来店したようですが、もちろん赤穂浪士が本当の名前も身分も明かすことはありませんでした。
赤穂浪士たちのその後は、ご承知のとおりですから、この話に楽しい続きはありません。そもそも、この恋が片思いだったのか、両思いだったのかもはっきりとは伝わっておりません。

いずれにしましても、凛として白いお豆腐のように、おぼろで淡い恋のお話です。

◎笹乃雪/東京都台東区根岸2-15-10