江戸・東京散歩
第1回 日本橋(1)
今回は、日本橋の南詰めを歩きます。このあたり、江戸時代は商業の中心地。すっごい賑やかだったんですよ。
その面影が、いまも町のあちこちに。日本橋川沿いに、兜町まで足をのばしましょう。
■なにはともあれ、日本橋
 最初に日本橋がかけられたのは、慶長8年(1603)、徳川家康が江戸幕府を開いたのと同じ年です。もちろん、その頃は木造の橋ですから、火事になったりして何度もかけかえられています。でも、今の日本橋だって、明治44年(1911)にできているから、もう90歳以上。長さ49.1m、幅27.3mの貫禄充分の石橋で、欄干の麒麟(きりん)と獅子(しし)の青銅の像もなかなかカッコイイでしょ。
見どころは、この青銅の像と、15代将軍・徳川慶喜の筆による「日本橋」の字。橋の手前左側に「日本橋由来の碑」があるので、よく読んでね。
sanpo0101橋を横から眺めると、おしゃれなシルエットの橋だってことがよーくわかりますよ。
■迷子はココで見つかる、一石橋
 日本橋の2つ西側にかかっているのが一石橋。日本橋の花街を題材にした泉鏡花原作のお芝居『日本橋』で、「春でおぼろでご縁日…」というせりふの舞台です。とはいっても、現在の一石橋は立派なコンクリート製で、面影なし!
でも、名前の由来はおもしろいですよ。江戸時代、橋の南に呉服所の後藤縫殿助さんの家が、橋の北に金座の後藤庄三郎さんの家があったので「後藤と後藤」つまり、「5斗(と)と5斗で一石(いっこく)」。江戸っ子のシャレです。どう? あ、平成の世では、もうほとんど通じない?……。
立ち直って、ここのホントの見どころをお教えします。橋のたもとにある「満よい子(迷子)の志るべ」という石柱です。江戸時代、このあたりは大繁華街で、迷子が続出。そこで、迷子探しの伝言板として、この石柱が安政4年(1857)に建てられました。右側面に「志らする方」、左に「たづぬる方」と彫ってあって、石のへこみに迷子の特徴などを書いて貼ったのです。東京都の旧跡にも指定されている珍しいものだから、見落とさないでね。
「満よい子の志るべ」は、まわりが金網で守られていて、実はとっても見にくいのだ。残念。
■郵便のはじまりはここ、日本橋郵便局
 特にめだつこともない、ふつうのビルディングの郵便局ですが、ここが日本の郵便が始まった記念すべき場所。明治4年、この場所に駅逓司と郵便役所が置かれて、それまで飛脚が運んでいた郵便物が、切手をはって配達されることになったのです。とはいっても、最初は東京・大阪間だけ。最初に切手を貼ってお手紙を送った人は、ちゃんと届くかどうか心配だったでしょうね。
現在、日本では毎日7,100万通もの郵便物が届けられているんだそうですよ。
通用口の横には、日本の郵便制度をつくった前島密(ひそか)の銅像が建っています。
■東京証券取引所
 日本の金融の中心、兜町にあります。「株はやらないから…」という人も、ぜひ見に行ってみて。外観も立派だけれど、内部は近未来を見るようにモダンでビックリですよ!
見学は無料で、平日の9時から16時まで。1日7回、見学者向けの説明も行われています。詳しくは、東京証券取引所http://www.tse.or.jp/arrows/visit.htmlへ。
なお、兜町から日本橋にかけては、レトロビルがいっぱい。新しく立て替えたビルも、玄関先や屋上などに、昔の建物の一部を残していたりしてなかなか楽しい散歩ができます。
また、東京証券取引所の南側にある「みずほ銀行」は、日本の銀行発祥の地。玄関脇にレリーフがありますので、探してみてね。
東京証券取引所は、明治11年に、東証の前身である東京株式取引所が売買立会を開始して以来、120年以上の歴史があります。
【ついでに文学散歩も】
■丸善
洋書に強い本屋さんといえば、丸善。創業は明治2年(1869)と明治維新直後で、翌年、今の場所に店を開きました。創業したきっかけは、福澤諭吉さんのおすすめだったそうですよ。
創業当時から書籍のほかに文具や用品雑貨を取り扱い、日本最初の国産マッチやビール、石鹸、男性用整髪料など、当時の最先端グッズの販売も。タイプライターや万年筆などの輸入販売を手がけたのも、もちろん本邦初。日本初の企業PR誌(『學の燈(まなびのともしび)』のちに『學鐙』)を発行して、明治34年からは内田魯庵が編集長をつとめました。いろんな意味で、日本の近代文化の発展に寄与したお店だったんですね。
【老舗散歩も楽しんでね】

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山本山][榮太樓總本鋪][黒江屋][榛原

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