江戸・東京散歩
第7回 浅草
今回の江戸・東京散歩は浅草を歩きます。毎年5月第3金・土・日に催される「三社祭」を筆頭に、1年を通してお祭りが多い浅草。お祭りがない時でも、町を歩けばお祭りムードいっぱいです。グルメにショッピング、そしてお参り。にぎやかな散歩をしたい時は、浅草へ!
■雷門
 浅草のシンボルといえば、大きな提灯が下がる雷門。門前は記念写真を撮る人や、待ち合わせの人で大にぎわい。若い車夫さんが「人力車で浅草観光をしませんか~」と観光客に呼びかける声も入り混じって、いつも活気にあふれる江戸名所です。
雷門は、言わずと知れた浅草寺の表玄関で、『江戸名所図絵』では「雷神門」と紹介されています。もとは天慶5年(942)に現在の駒形端の西詰めに創建され、今の場所に移されたのは鎌倉時代だとか。その後、幾度も火事にあい、そのたびに再建されていましたが、幕末の慶応元年(1865)の焼失後は長く再建されませんでした。
その再建がやっと叶ったのが、昭和35年(1960)。寄贈したのは松下幸之助氏でした。
雷門は昔からずっとここにあって浅草を見守っていたようなイメージがありますが、明治・大正・そして昭和の半ばまで100年以上も”幻の門”だった時期があったんです。
ちょっとビックリ!?
雷門は浅草のシンボル、そして東京観光の随一の名所。昭和35年に再建された現在の門は鉄筋コンクリート造りです。
■仲見世
 雷門をくぐり抜けたところから浅草寺の境内に向かって続いているのが、「仲見世」と呼ばれる商店街。約250mの道筋には人形焼やお煎餅、佃煮といったお土産屋さんをはじめ、靴やカバン、おもちゃ、洋服など、バラエティ豊かな店舗がぎっしり建ち並んでいます。東側に54店、西側に34店、合計88の店が集まっているそうですよ。
仲見世の始まりは、元禄・享保時代(1688~1735)と伝えられ、日本で最も古い商店街の一つ。もともとは浅草寺境内の清掃の賦役をかせられていた周辺に住む人たちに、その見返りとして寺が参道に店を出す特権を与えたのが始まりだそうです明治18年(1885)には、文明開化の象徴ともいえるレンガ造りの2階建ての商店街に一新。この斬新な商店街は大正12年の関東大震災で壊滅しますが、まもなく桃山風を取り入れた鉄筋コンクリート造りの商店街が復活しました。その後も戦災で焼け果ててしまいますが、戦後いち早く復興したのは、やはり江戸下町っ子の心意気というものでしょう。
電柱がないのでスッキリした商店街になっています。でも、それに気がつかないほど、いつも人でいっぱいですよね!
■宝蔵門(仁王門)
 仲見世を抜けると正面に見えてくるのが「宝蔵門」。高さ21.7m、間口21.1mの堂々たる門で、宝蔵門の名は、国宝の「法華経」、重文の「元版一切経」、四天王などの寺宝を収蔵しているところからです。でも、門の左右に仁王様が安置されているので、通称「仁王門」とも呼ばれています。
門自体は平安中期からあったと伝えられ、木造として最後に建てられたのは慶安2年(1649)。将軍家光の命によるものでしたが、昭和20年(1945)の空襲で本堂とともに焼失し、現在のものはホテルニューオータニの大谷米太郎氏の寄進によるものです。
なお、門の中央に掲げられた提灯は、貞享年間(1684~1687)年以来、日本橋小舟町によって奉納されているもので、現在のものは江戸開府400年を記念して15年ぶりに新調されたもの。
また、門の裏側(本道側)の両サイドにかけられた「大わらじ」は一つが長さ4.5m、幅1.5m、重さ400kgもあり、山形県村岡市の「奉賛会」により奉納されたものです。
十数回もの火災にあった浅草寺本堂の歴史は、再建・復興の歴史ともいえるでしょう。
現在の本堂は、鉄筋コンクリート造り。急勾配の屋根が特徴です。
■浅草寺本堂
 にぎやかな参道の突き当たりにあるのが、浅草寺の本堂です。
今から1300年以上も前のこと。二人の兄弟が隅田川で漁をしていると、人の形をした像が網にかかり、それを土地の長老である土師真仲知(はじのまつち)に鑑定してもらったところ観音像であることがわかりました。そこでお堂を建てて観音像を祀った――というのが浅草観音金竜山浅草寺の起源です。
寺が隆盛を極めたのは江戸幕府の庇護を得てからで、本堂も家光が慶安2年(1649)に再建したものです。国宝となっていましたが、戦災で焼失。現在の建物は、昭和33年(1958)年に再建されたものです。聖観音宗の総本山で、本尊は聖観音菩薩像。
十数回もの火災にあった浅草寺本堂の歴史は、再建・復興の歴史ともいえるでしょう。
現在の本堂は、鉄筋コンクリート造り。急勾配の屋根が特徴です。
■浅草神社
 浅草寺本堂の東側に建つのが、浅草神社。浅草寺の歴史の中にでてきた、観音様を拾った兄弟と、それを鑑定した土地の長老の3人を祭神としたのが、ここ浅草神社。そして、三人の祭神を祀っているので”三社さま”とも呼ばれているのです。
「三社祭」が浅草寺のお祭りだと思っている人も多いようですが、お間違いなく!ここ浅草神社の祭礼ですからね。
浅草神社の創建年代ははっきりしませんが、鎌倉時代にはすでに社殿があり、祭りも行われていたことがわかっています。現在の社殿は慶安2年(1649)、家光によって再建されたもので、本殿、幣殿、拝殿ともに国指定の重要文化財になっています。
三社祭については、【江戸の歳時記】の5月の項目を見てくださいね!
(左画像)重要文化財の本殿。東京に残る江戸時代初期の建築物として、とても貴重なものです。
(右画像)鳥居の外にある神輿庫には、三社祭で繰り出す本社神輿が展示されています。
■二天門
 浅草寺の東門で、浅草神社の鳥居横に建っています。元和4年(1618)、将軍秀忠が父・家康を祀るために造営した浅草東照宮の随身門として建てられたと伝えられています。浅草東照宮が火事で焼失したときも、この門だけは炎上をまぬがれました。
その後、明治の神仏分離令で随身像は持国天・増長天の二天に変えられることになり、門も二天門と改名。ちなみに、この時に作られた二天はその後の火災で焼失。現在の二天は、上野寛永寺の厳有院(将軍・家綱霊廟)勅額門から移された江戸時代初期(慶安年間)の作品です。
二天門は、雷門などと比べると見た目の華やかさはありませんが、歴史的価値の高さは浅草寺随一。年月を刻んできた風格がただよい、国の重要文化財に指定されています。
その昔は、浅草にも東照宮があったんですね。この二天門は、その折に造られた歴史的な門なのです。
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