<白木屋傳兵衛>中村梅吉さんの「いい話」【第21回:歳時記:12月】

江戸期、庶民にとっての師走は、正月を迎える準備の月だった。歳暮廻りをし、おせちの準備をし、大掃除をした。
大掃除は師走の13日にすると決まっていたらしい。歌舞伎の「忠臣蔵」で赤穂浪士の一人・大高源吾が吉良邸の周囲を探るのに「笹」売りに身をやつしていたが、その笹も大掃除用だ。川柳に「十四日さっぱりとして首をとり」がある。

昭和の初めは、大掃除で出たごみの収集が一度で済むように、お上が日を決め、掃除が終わると検査をして「大掃除実施検査済み」の10cm程の証を貼ってまわった。もっとも、ウチは12月に入ると掃除道具の販売と準備でてんやわんやで大掃除どころではない。検査はいつもナアナアで済ましていた。親父は「暮れが年に2度あるといいんだがなあ」と言っていた。
歳の市(食品以外の歳末正月用品市)は15日の深川不動尊に始まり、17,8日が浅草観音(これは羽子板市を兼ねる)、20、21日が神田明神、24日が芝愛宕権現と続く。ウチは不動信仰(西の観音東の不動といわれそれぞれの信仰が)だったので、28日に納めのお不動様(毎月1日15日28日が縁日)へ参った。その時、必ず古いお札を焚き上げてもらうために持参した。
その日だったと思うが、夜、番頭から職人、年季奉公の小僧まで集められ、仕着せ、給料、小遣いがでた。私も正月用の小遣いをもらった。

同じ頃、家に正月の賃餅が届いた。町内の鳶の頭は「お飾り」を届けに来た。内容は表飾り、大根締め(神棚用)、輪飾り20組。大根締めの御幣はあるじの仕事、輪飾りは女子供が仕上げ、各部屋、道具、自転車などにつけた。遅くとも30日までの完了が必須。一夜飾りは不吉なのだ。
29日以降は父母も店の人達も忙しくて子どもの相手などはしてくれなかった。三度の飯も「勝手に食べとけ」。そして大晦日は、除夜の鐘に付き合わされた。ラジオから流れる新年の様子を聴きながら眠っていた。
 1年続けた「歳時記」も、これにてお開きです。
では、皆様。どうぞよいお年を。

中村梅吉(なかむら うめきち)
白木屋中村伝兵衛商店6代目店主。昭和4年(1929)、東京市京橋区宝町3-4(現:中央区京橋3-9-8)に白木屋箒店(現、白木屋中村伝兵衛商店)の長男として生まれる。
区立京橋国民学校(小学校)、東京府立第3中学(現両国高校)を経て、東京外事専門学校(現東京外語大)の蒙古科に入学。蒙古語、中国語、ロシヤ語を習得。昭和37年(1962)から平成15年(2003)まで、6代目店主として家業に勤しむ。
昭和55年(1980)から中央区歴史講座で川崎房五郎氏に師事し、江戸学を開始。隠居後、中央区の文化サポーターや江戸東京博物館ボランティアとして、年間30回以上、講演や街歩きの案内を務めている。
また、東京大空襲の被災者としての証言など、様々な形で江戸—東京の歴史を伝える活動にも関わり続けている。茶道、飛行機模型、手話などなど、趣味も多彩で本格派。

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