江戸の歳時記|5月 三社祭
・お神輿を激しく揺さぶるのは、なぜ?
 三社祭は浅草神社のお祭りで、毎年、5月17・18日に近い金・土・日曜の3日間行われています。
祭りの初日は午後1時の大行列に始まり、びんざさら舞奉納と神輿魂入(みこしたまいれ)が行われます。
「びんざさら」とは、108枚の薄いヒノキ板を上部だけ紐でつないだ楽器で、アコーディオンのように開閉することで板が触れ合って音が出るというもの。陣形を変えながらこの楽器を打ち鳴らし、豊年や悪霊退散を願うのです。
2日目は例大祭式典ののち、午後から町内神輿連合渡御が行われます。約100基が町 内を練り歩く華やかさ、賑やかさは三社祭ならでは。担ぎ手の熱気が観客にも伝わり、浅草の町が興奮に包まれます。
そして、3日目が祭りのハイライト、宮出しと宮入り。宮出しは早朝から数千人の担ぎ手が境内を埋め尽くし、午前6時、合図とともに本社の大神輿3基が上がると、町神輿も身震いするように揉み抜かれ、町内渡御へと繰り出していきます。
お神輿を激しく揺さぶるのは「魂振り(たまふり)」といって、お神輿に座す神様の霊威を高め、その御神德をあますところなく行き渡らせるという意味があるのです。
現在の本社神輿は氏子四十四ヶ町により奉納されたもので、一之宮と二之宮が昭和25年に、三之宮が27年に納められました。なお、宮入りは、日没頃。喧騒ののちの静粛な式を終えて、浅草の勇壮な祭りが幕を下ろすのです。
■問合せ先・浅草神社 http://www.asakusajinja.jp/
三社祭の本社神輿
三社祭の本社神輿(写真提供:宮本卯之助商店  撮影:越智義男氏)
・江戸時代の三社祭
 現在は5月の中旬に行われている三社祭ですが、かつては3月17・18日の2日間行われ、丑・卯・巳・未・酉・亥の年が本祭でした。祭りの日程の変更は2度行われ、まず明治5年に新暦に合わせて5月17・18日に、昭和38年からは両日に近い金・土・日曜に行われるようになりました。
江戸時代の三社祭は、大祭前夜に神輿を観音本堂の外陣に安置するなど、浅草寺と浅草神社が一体になったお祭りで、観音祭とか、浅草祭とも呼ばれていました。
氏子は観音様の縁日にちなみ十八ヶ町。このうち材木・花川戸・聖天を宮元三ヶ町と呼び、すべてを総称して浅草郷とも千束郷ともいいました。
祭礼は現在のような神輿かつぎが中心ではなく山車(だし)が中心で、十八ヶ町のほか蔵前筋や浅草橋の各町も山車を繰り出し、行列の勢いと絢爛さを競いあったようです。
また、当時は祭礼行列が終わると「お堂下げ」といって神輿三体を本堂からおろし、一之宮を先頭に浅草御門の乗船場までかつぎ、大森在住の漁師の供奉する船に乗せて浅草川(隅田川)を遡り、駒形で上陸して再び本堂までかつぎ帰りました。この船祭りは江戸末期まで続きましたが、明治になって廃絶しました。

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