
【写真】三社祭の「宮出し」風景。平成27年5月、社殿より。
(撮影:宮本卯之助)
5月の第3土曜日を基点とする金・土・日の3日間、浅草神社の氏子四十四ヶ町を中心に「三社祭」が行われます。毎年約180万人もの人を集める日本を代表する祭礼で、大小約100基の神輿(みこし)が練り歩く風景は勇壮にして華麗です。
浅草神社の本社神輿は、戦前は徳川家光公より寄進された3基をはじめとして7基ありましたが、第二次世界大戦の空襲ですべて焼失し、戦後、宮本卯之助商店が新たに作らせていただきました。
当店の代表作の一つであり、浅草で商いを営む私どもにとっては大変な名誉でもあります。
神輿は木地、漆、彫金、彫刻など、さまざまな工芸分野の匠たちの技の結晶です。御旅所などでゆっくり見ることができるようでしたら、職人たちの誇り高い仕事をご覧ください。とりわけ、神輿の屋根の下から出て、反り上がっている大きな蕨手(わらびて)や極彩色の彩りなどは、「三社型」と呼ばれる浅草神社の神輿ならではの特徴です。
また、祭りでは神輿の担ぎ手にもご注目を。神輿は「肩でなく腰で担ぐ」と言われていますが、よい担ぎ手は、爪先を立てて腰でリズムを取り、神輿を上下にもみながら進んでいきます。もちろん、祭り衣装をピシッときめていることも肝心です。姿かたちから動きまで、すべてが整ってこそ、氏子の祭り支度なのです。
神輿担ぎはレジャーではなく、神事です。神様の御霊(みたま)を神輿にお乗せして我が町までお連れし、暮らしぶりをご覧いただく。そして霊力を分けていただき、平穏な日々を願うのです。
1年に1度、神様と一緒になって楽しむのが三社様のお祭りです。人々が交わり、その感動を共有するうちに地域社会の豊かさが形成されていくのだと思います。
どうぞ、三社祭に足をお運びください。お待ちしております。
祭りの初日は午後1時の大行列に始まり、びんざさら舞奉納と神輿魂入(みこしたまいれ)が行われます。
「びんざさら」とは、108枚の薄いヒノキ板を上部だけ紐でつないだ楽器で、アコーディオンのように開閉することで板が触れ合って音が出るというもの。陣形を変えながらこの楽器を打ち鳴らし、豊年や悪霊退散を願うのです。
2日目は例大祭式典ののち、午後から町内神輿連合渡御が行われます。約100基が町 内を練り歩く華やかさ、賑やかさは三社祭ならでは。担ぎ手の熱気が観客にも伝わり、浅草の町が興奮に包まれます。
そして、3日目が祭りのハイライト、宮出しと宮入り。宮出しは早朝から数千人の担ぎ手が境内を埋め尽くし、午前6時、合図とともに本社の大神輿3基が上がると、町神輿も身震いするように揉み抜かれ、町内渡御へと繰り出していきます。
お神輿を激しく揺さぶるのは「魂振り(たまふり)」といって、お神輿に座す神様の霊威を高め、その御神德をあますところなく行き渡らせるという意味があるのです。
現在の本社神輿は氏子四十四ヶ町により奉納されたもので、一之宮と二之宮が昭和25年に、三之宮が27年に納められました。なお、宮入りは、日没頃。喧騒ののちの静粛な式を終えて、浅草の勇壮な祭りが幕を下ろすのです。
■問合せ先・浅草神社 http://www.asakusajinja.jp/
江戸時代の三社祭は、大祭前夜に神輿を観音本堂の外陣に安置するなど、浅草寺と浅草神社が一体になったお祭りで、観音祭とか、浅草祭とも呼ばれていました。
氏子は観音様の縁日にちなみ十八ヶ町。このうち材木・花川戸・聖天を宮元三ヶ町と呼び、すべてを総称して浅草郷とも千束郷ともいいました。
祭礼は現在のような神輿かつぎが中心ではなく山車(だし)が中心で、十八ヶ町のほか蔵前筋や浅草橋の各町も山車を繰り出し、行列の勢いと絢爛さを競いあったようです。
また、当時は祭礼行列が終わると「お堂下げ」といって神輿三体を本堂からおろし、一之宮を先頭に浅草御門の乗船場までかつぎ、大森在住の漁師の供奉する船に乗せて浅草川(隅田川)を遡り、駒形で上陸して再び本堂までかつぎ帰りました。この船祭りは江戸末期まで続きましたが、明治になって廃絶しました。
最新記事
This post is also available in: 英語








