江戸の歳時記|5月6月 <富士山山開き>
・江戸は「富士が見える」町
 富士山が誕生したのは、いまから10万年前くらい前のことです。もっとも現在のような美しい山容になったのは、1万年ぐらい前から。何百回もの噴火と幾たびもの山体崩壊を繰り返しながら、富士山は名実ともに日本一の山に生長してきたのです。
古典をひも解くと、富士山の活動の様子は万葉の時代から記されており、柿本人麻呂なども富士山の噴煙を和歌に詠んでいます。その後も更級日記や新古今和歌集をはじめとして、さまざまな書物に記されています。富士山はずっと噴火を続けてきた山なのです。
そして、歴史時代最大の噴火が、江戸時代の宝永4年(1707)に起こりました。
(*宝永年間は、元禄年間のあとに始まる時代です)
この大噴火では、富士山麓の50余りの集落が埋没。富士山から約100km離れた江戸でも10日間ほど灰や黒砂が降りしきり、日中でも行灯をともさなければならないほど空が暗くなったといいます。火山学者の計算によれば、江戸に降り積もった灰は平均2~5cmとか。市中に積もった灰は、噴火が収まった後も風が吹くたびに飛び散って、江戸っ子たちを長い間、セキで苦しめたそうです。
富士山は活火山です。もし、今後再び富士山が大噴火を起こすことがあれば、その影響は江戸時代の比ではありません。いつまでも、静かで美しい山であってほしいのですね。
日本橋
浮世絵「日本橋」
・お富士さまの縁日
 旧暦6月1日は、富士山の山開き。江戸時代、富士山は、この日から7月20日まで登山が許されていました。
江戸で富士詣が盛んになったのは、江戸中期からで、市中には八百八講といわれるほど数多くの講ができたといいます。講というのは、参拝登山に行くために組むグループのことです。また、富士山に登れない子どもや婦人、お年寄りたちにも参拝登山と同じご利益を受けさせるために、江戸各所に富士山をかたどった塚(富士塚・江戸富士)が造られました。山開きの日にはこの塚にのぼって経文を唱え、宴を催す――これが今日まで続く「お富士さま」の縁日です。
現在も残る代表的な富士塚は、鳩森神社(渋谷区・千駄ヶ谷)、駒込富士神社(文京区・駒込)、小野照崎神社(台東区・下谷)など。
鳩森神社の塚は、最も「富士塚」らしく眺望があり、散歩道としておすすめ。
駒込富士神社は、山開きの日(毎年6月30日~7月2日)に盛大な縁日が催され、江戸時代から続く縁起物「魔除けの麦わら蛇」も売られます。
小野照崎神社も、山開き(毎年6月30日・7月1日)の日は屋台が出て、にぎやかな縁日。茅の輪くぐりも行われています。
なお、富士塚らしいものはありませんが、浅草の富士浅間神社(浅草警察署の筋向い)は、江戸の富士信仰を代表するお社で、富士山山開きの祭礼は毎年5月31日、6月1日、6月30日、7月1日の4日間。なお、6月と7月の最終土曜・日曜日には全国有数の大規模な植木市も開かれ、「お富士さんの植木市」として、浅草の名物行事の一つとなっています。

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