<日本橋弁松総本店>樋口純一さんの「日本橋絵葉書びっくり展覧会」(第3回)
 「日本橋絵葉書びっくり展覧会」へようこそ。第3回目となる本日も開会のお時間となりました。ご用とお急ぎでない方はどうぞごゆっくり覗いていってください。
 先頃、日本橋の上に架かる高速道路撤去の話題がございましたが、実現はまだまだ先の話かと思われます。いつかそうなった暁には、高速道路があった時代もまた幻の風景になるのかもしれません。今回も明治から昭和にかけての幻の風景を取り揃えましたので、絵葉書の中の世界をお楽しみください。お題は、東都のれん会加盟店でのお買い物で。

前回は、日本橋の北側を望むアングル特集でしたが、今回は反対の南側や側面を望む景色を集めました。今も昔も、橋を境に街の雰囲気が異なるのをご覧ください。

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 まずはこの一枚から。現在の日本橋が架けられてからまだ間もない明治44年から45年頃かと思われます。当時は、横からのアングルもこんなにきれいに見ることができました。今は高速道路の支柱だらけで、なかなか全景を把握できません。
 左端には「仁丹」の看板が健在です。現在の野村証券の辺りにある茶色い建物は、明治15年に竣工した電信局で、先代の日本橋のときからありました。電信局自体は明治5年に開局し、一度建て替えられたのです。

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 1枚目とほぼ同時期の風景だと思われます。先ほどの電信局の屋根が見えますが、その右側で建築中なのは、明治44年に着工、大正2年に竣工した村井銀行です。北側を望む景色の撮影は、この建物から行われていました。日本橋絵葉書史における貢献者です。
 その隣りは、布団の西川商店です。こちらも時代によって外観が大きく変わるので、絵葉書の年代特定には欠かせません。さらにその横で工事中なのは、増築中の白木屋です。なにか既視感がある一枚だと思いましたが、現在の日本橋の街も工事中だらけでこんな風景でございます。

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 こちらもほぼ同時期です。側面からやや北側を望むアングルです。中央の建物は、現在の三越本店新館の辺りにあった日本通商銀行です。このアングルだとお馴染みの帝国製麻ビルがあるのですが、まだ施工前です。
 この頃の絵葉書では、やたらと電線が目立っています。しかし、明治末期から大正初期にかけて電線はどんどん地中化され、徐々に絵葉書の中からも姿を消していきます。そんなことからも、年代を特定できるのです。

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 お次の一枚は、先ほどご紹介した日本通商銀行から撮影したものと思われます。すぐそばには、右側に写っているように明治期の日本家屋がありました。こちらは大瀧商店という鰹節屋だったそうです。帝国製麻ビルがまだないので、大正2年から3年頃の風景です。電信局、村井銀行、西川商店、そしてこの絵葉書では隠れていますが白木屋があり、和洋折衷の街だったのが分かります。三越のある北側よりも、白木屋のある南側の方がより顕著だったように思われます。

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 今度は白木屋呉服店まで写っています。ドームがあるこのタイプは、大正7年に改築が完了したものです。そして、通りを挟んで絵葉書の右端に見えるのは、大倉書店です。現在のKinko’sのある辺りです。大正7年から8年頃でしょうか? ちなみに、西川商店と白木屋呉服店の間にあるのは、左から、あかぢ貯蓄銀行、森村銀行、伴傳商店です。絶妙なネーミングのあかぢ貯蓄銀行は、経営者である銀行家の渡辺治右衛門が日本橋で営んでいた乾物屋「明石屋」を「明石屋治右衛門」=通称「明治(あかぢ)」と呼んだことが名前の由来のようです。

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 前の1枚と同年代だと思われます。海外の絵葉書と言っても違和感がない街並みです。絵葉書のタイトルの「TOKYO」の下あたりに何やら飛行機のような影が。これは本当に飛んでいたのか怪しいです。絵葉書では、なぜか後から飛行機を手で描き加えているケースがよくあり、現実と異なる景色を作り上げているのです。真実の中に嘘を混ぜるというテクニックが使われています。

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 前の1枚に色が付いたらこんな感じです。この絵葉書は実際の色合いをわりと忠実に再現しているようです。川のほとりに見える白と茶色の建物は、國分商店です。右隣りの茶色い建物の1階には、川から荷受けできるような出入り口があります。
 國分商店の左奥の灰色の建物は大倉書店で、夏目漱石の『吾輩は猫である』を出版した日本屈指の版元だったそうです。また、ここから西に歩いたところにある呉服町には(現在の呉服橋交叉点東角)、竹下夢二が開業した「港屋絵草紙店」がありました。絵葉書には写っていませんが、白木屋の先には書店の丸善もあり、このあたりは、当時の文化の発信地だったのでしょう。
 日本橋北側からの魚河岸臭、路面からは馬車の馬糞臭、そして文化の香りと、日本橋には様々な匂いが渦巻いていました。

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 ここからは、一気に時代が飛んで昭和に入ります。関東大震災後の風景となりますので、あちこち変わっております。橋のたもとの工事中のところは、國分商店の新本社ビルが建設中です。竣工が昭和6年なので、昭和4年か5年の絵葉書でしょうか。この一枚も村井銀行の建物から撮影したものですが、実は昭和3年4月に村井銀行は倒産し、昭和銀行に買収されました。

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 右端に國分商店の新本社ビルが完成しています。左端には、震災後に復興した西川商店の建物が見えます。絵葉書の余白に「胃病良薬太田胃散本舗特製」と書いてありますが、これは太田胃散が発行した「大東京」という絵葉書セットの中の一枚です。販売していたのか、販促グッズだったのかは不明です。昭和10年前後でしょうか?

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 こんなパッケージで、銀座や浅草の絵葉書とセットになっていました。

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 こちらも同時期です。彩色技術も向上し、リアルな色合いの絵葉書が多くなりました。
 昭和初期の絵葉書には雲が表現されているのも特徴です。タイトルに「里程標立つ日本橋」とありますが、道の終起点の印である道路元標がある日本橋から国内の主な地域への距離を記したものが里程標です。現在でも、橋のたもとの元標広場に東西の里程標が設置されています。
 また、絵葉書中央右の茶色い建物(國分ビル)に重なっている電信柱のようなものが「東京市道路元標」です。現在のマンホールの蓋のような「日本国道路元標」の先代にあたるもので、同じ場所にありました。路面電車の架線柱と電燈も兼ねていたため、オンリーワンな形になりました。現在は、オリジナルのものが元標広場に移設されております。鳩の糞害がひどいですが。

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 続いての1枚も同時期の景色です。このアングルも外国と言っても分からない雰囲気を醸し出しております。水面に映る日本橋が水鏡の世界をつくり出し、紛れもなく今では幻の風景です。

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 前の絵葉書からこの1枚までの間に、戦争がありました。戦後の復興の風景です。
 西川商店は、西川産業株式会社へと社名変更しました。空襲でこのエリアもかなり焼失してしまったため、西川産業の建物もガラリと変わりました。
 左端にギリギリ写っている建物には、よく見ると「東海銀行東京支店」の文字が。もともと村井銀行があった場所ですが、前述の通り、村井銀行は昭和3年に倒産し昭和銀行(昭和19年に安田銀行)に買収され、さらにその後いろいろな銀行と吸収合併をして、このころには一部は東海銀行になっていたのです。建物一つにも奥深い歴史があります。
 また、西川産業の後ろには、「千代田銀行」の看板が見えます。戦後、当時の三菱銀行が財閥解体に伴い昭和23年から28年まで一時的に名称を千代田銀行に変更していました。ですので、この絵葉書の年代はその期間内ということになります。
 さらに、白木屋の奥の建物を拡大すると、「ネオアルバジル」という薬の看板が確認できます。山之内薬品商会の高級化学剤で、昭和25年頃に広告展開されていたようなので、さらに年代が絞れました。
 この1枚は自由奔放な彩色がされており、日本橋が赤く染まっています。西川産業の屋根も黄緑で、サイケな風景に仕上がっています。

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 今回の最後の1枚となりました。絵葉書の上部中央に見える白木屋呉服店がこの建物に改装されたのが昭和32年でございます。後年、東急百貨店になった際にも、このままこの建物が使われました。先ほどの千代田銀行は、三菱銀行に名称が戻っています。高速道路が架かる前なので、昭和32年から35年頃の景色だと思われます。
 西川産業の屋根は、黄緑ではなく実際は赤だったことが分かりますので、先ほどの1枚は、もしかしたら赤と黄緑の塗る場所を間違えて逆にしてしまったのかもしれません。1枚の絵葉書から様々なことを想像できるのも、絵葉書の醍醐味でございます。

 今では刻の彼方に消えた日本橋の風景の数々でございました。
 それでは、今宵はこれにて閉幕とさせていただきます。

樋口純一(日本橋 弁松総本店 八代目)
history
 あらたに改架された石橋日本橋は、首府東京の中央橋に相応しい威容をそなえた橋です。詩歌にも詠まれるようになりました。明治・大正・昭和を生きた詩人で歌人の有本芳水の詩集『芳水詩集』(大正三年)は、300版近く版を重ね、広く長く、とくに少年に愛誦されました。その中から「日本橋」を抄録します。

 花のお江戸のまん中に/伊達をつくした日本橋/河岸にならんだ白壁の/蔵に夕陽がぱつと散る。
 夢の如くに羽のべて/水の上にとぶかもめどり/河の流れは広重の/紺のぼかしの茜染め。橋の下行く猪木船/あれ櫓の音がきしるぞえ/水(み)棹(さお)をとれる船頭は/くはへ煙管(きせる)の豆絞り。橋の欄干たたずみて/入日の空を眺むれば/錦絵に見る夕空に/三国一の不二の山。
 日は暮れかかる河の面(おも)/河岸に向ふに荷をあぐる/若き男の木やり唄/水をすべりて聞え来る。
 荷物かつぎて笠つけて/草鞋(わらじ)むすびてとぼとぼと/上る東海道の旅の空/五十三次それも夢。
 以下略

野口孝一(近代都市史研究者、中央区文化財保護審議会委員)

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