江戸・東京散歩
第5回 日本橋(2)
今回は、日本橋を北詰めを歩きます。このあたり、江戸時代には金座があり、魚市場があり、越後屋(現在の三越日本橋本店)を中心に江戸最大のショッピングエリアが広がっていたところでした。
現在も、老舗が軒を連ねて盛業中。一方で、大規模な再開発プロジェクトが進み、新しいまちづくりもすごい勢いで進行しています。昔も今も胎動を続けている街、そのエネルギーを感じながらの街散歩、楽しんでください。
■日本国道路元標・東京市道路元標
 日本橋北詰の西側にある広場に、「日本国道路元標」のレリーフがあります。といっても、実はこれはレプリカ。本物は、日本橋の真ん中にありますが、見学には危険なので、ここにレプリカを置いてあるというわけです。これは昭和42年に都電の廃止に伴い、道路整備が行われたのを契機に造られたもので、プレートの文字は当時の総理大臣、佐藤栄作氏の筆によるものです。つまり、新しい物なんですね。 よく見ると、同じ広場には「東京市道路元標」も立っています。こちらは明治44年(1911)、現在の橋に架け替えられたときに、やはり日本橋中央に設置され、昭和47年に移設されたもの。この「東京市道路元標」の方が、もともとの道路元標といえるかもしれません。いずれにしても、慶長8年(1603)、家康が日本橋を架けて以来、ここ「日本橋」が、全国各地に通じる街道の始まりの場所なのです。
日本国道路元標(レプリカ)。道のりの総元締めです。本物は日本橋の真ん中にありますが、見学は危険なのでくれぐれも気をつけて。
■日本橋魚市場発祥地碑
 日本橋の北詰の東側には「日本橋魚市場発祥地碑」が立っています。江戸の昔、このあたりから三越の東側一帯にかけて、江戸最大の魚市場が広がっていたのです。日本橋魚市場は、家康の関東入国とともに摂津国の佃・大和田両村の漁夫30余名が移住してきて三河岸舟町(現在の大手町2丁目常磐橋あたり)で幕府の魚御用を勤め、慶長年間(1596-1614)頃から残った魚介類の小売りを始めたのが始まりとされています。碑のとなりの白い観音像の下には上記のようなことを刻んだ久保田万太郎による碑文がありますが、残念ながらほとんど読み取れません。
約300年間、ここから江戸っ子たちの胃袋を満たす海の幸を提供し続けていた「日本橋魚市場」。現在、日本橋の北東エリアに海苔や佃煮、鰹節、はんぺん・かまぼこといった海産物製品の老舗が並んでいるのは、この魚市場の歴史がいまに続いているからなんですね。
日本橋魚市場発祥地碑。繁栄時には1日千両ものお金が動いていたという日本橋魚市場は、大正12年9月の関東大震災により炎上したことが大きなきっかけとなって、その役割りを築地に譲り、長い歴史の幕を閉じました。
■日本銀行本店
 三越日本橋店の西側に、重要文化財にも指定されている堂々たる建築物が建ってます。これが、日本銀行本店。江戸時代は、ここに「金座」が置かれ、大判・小判・一分金などの金貨が造られていたんです。御金改役は、特権商人の後藤家が世襲。後藤さんの話は、【日本橋1】の一石橋の項でも出てきましたけど、覚えていますか? 一般の銀行と違って、私たち一般庶民は日本銀行にあまり縁がなさそうですが、内部見学(約1時間)ができて、史料公開なども行っているのでのぞいてみましょう。無料ですが、事前予約が必要。少なくとも1週間前までに電話で連絡をしてください。くわしくは以下まで。 TEL.03(3277)2815
日本銀行本店。東京駅などを設計したことでも知られる辰野金吾(たつのきんご)博士<安政元年~大正8年>の設計により、明治29年に完成。柱や丸屋根などのバロック様式に、規則正しく並ぶ窓などのルネッサンス様式を取り入れた「ネオバロック建築」で、ベルギーの中央銀行を手本にしたといわれています。
明治中期の西洋式建築物としては、東京・赤坂の迎賓館とならぶ傑作とされ、国の重要文化財に指定されています。
■貨幣博物館
 お金のことならなんでもわかる博物館が、「貨幣博物館」。日本銀行本店の南向いにある「日本銀行金融研究所」のビルの中にあります。秀吉によって鋳造されたピカピカの「天正大判」をはじめとする大判小判の本物を見ることができるほか、明治初期の貨幣の混乱や日銀の設立など、古代から現代までの日本の貨幣の歴史がわかりやすく展示されています。
2004年秋に発行が予定されている新しい1万円札や千円札(見本券)も展示されていて、偽造をふせぐための工夫などの解説もなかなかおもしろいですよ。入場は無料。休館日は月曜日と祝日、年末年始です。くわしくは、下記のHPを見てください。 http://www.imes.boj.or.jp/cm/(貨幣博物館)
貨幣博物館。お堅い話ばかりのインテリ向きの博物館みたいですが、カップルの姿もちらほら。企画展も充実しています。
■十軒店(じっけんだな)跡
 十軒店といえば、人形市のたつ場所として有名だったところ。現在、人形店が並ぶのは浅草橋付近ですが、江戸時代はこのあたりに人形店が軒を連ねて並んでいたのです。雛人形や武人形のほか、羽子板なども、このあたりで盛んに作られていたんですね。
現在は、説明板が立っているだけで、その面影はありませんが、当時は節句のたびにこのあたりに大きな市がたって、江戸っ子が押しかけていたんです。いまよりも、生活のなかで節句の行事が大切にされ、また庶民の楽しみとされていたんですね。十軒店と人形については、【老舗の知恵袋 歳時記】の「3月」の項を見てください。
なお、中央通りをへだてた向い側には、江戸時代、赤穂浪士の大石内蔵助や大石主税ら7人がその離れに隠れ住んでいた「小山屋」がありました。浪士たちは、意外や、街なかにひそんでいたんですね。
十軒店跡の碑。人形の市がたって、人々でにぎわった十軒店のおもかげはありませんが、その歴史を説明する碑が立っています。
【老舗散歩も楽しんでね】
※老舗の詳細はこちら
千疋屋総本店][にんべん][日本橋弁松総本店][神茂][山本海苔店][室町砂場

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