大旦那のちょっといい話<澤島孝夫さんの巻(1)>【東京の街にはJAZZがあふれていた。】

 

みよちゃん 澤島さん、こんにちは。
澤島さんは上野のお蕎麦屋さん「蓮玉庵」のご当主にして、日本有数のジャズの名盤コレクターと風の便りに聞いております。そこで、これから数回にわたってジャズの魅力、ジャズの楽しさをお話しいただきたいのですが、まずは、澤島さんとジャズの出会いから聞かせてください。
(澤島) 出会いっていうか、うちの店の真ん前に「イトウ・コーヒー」というジャズ喫茶があったのがすべての始まりですよ。
イトウは昭和4年の創業の喫茶店で、上野に移ってきたのが昭和20年。おいしいコーヒーとドーナツが売りで、当時は庶民には高嶺の花だった*JAZZのレコードを1日中流していた。で、なによりウェートレスがみんな美人。入り口のドアのところにはドア・ガールって呼ばれた女性が立っていた。

(*輸入されるレコードの数そのものが少なく、値段も、1枚がサラリーマンの月収の1割を超えるほど高額だった)

開店当初は子どもだったから、出入り禁止だったけど、なにしろ自分ちの前にあるし、お客さんが出入りするたびにドアの隙間から聞こえてくる“うるさい音”も気になるし……ってんで、大学に入ると、隠れて一緒にタバコを吸ってたような悪仲間を誘ったわけ。「ジャズ喫茶とかいうところへ行ってみないか」って。

みよちゃん (笑)。大学に入って、入場解禁になったんですね。
(澤島) そうそう。うちは親父が歌謡曲好きだったから、家で流れてるのも歌謡曲ばっかし。JAZZ的な音楽は、受験勉強中にラジオで聴くともなく聴いてたのが最初だと思うけど、バックグラウンドミュージック、それ以上の意識はない。だから「イトウ」に行ったのもジャズを聞きに行くっていうんじゃなくて、同じ喫茶店に行くなら、コーヒーが出るだけじゃなくて、珍しい音楽も聴けるところの方が得だろう…(笑)と、そんな程度だったわけです。
ところが行ってみると、まあ、ジャズの音がちょっと気に入ったんだなぁ。「ああ、世界にはこんな音楽があるのか」と。それで、ほかのジャズ喫茶ものぞいてみるか、ていうんでいろいろ行くようになった。
日暮里の「シャルマン」には歩いて通ったし、水道橋の「スイング」は学校の講義と講義の間に通っていた。そして銀座や新宿へも、ジャズ喫茶目当てに行くようになった。
みよちゃん 当時のジャズ喫茶というのは、皆で黙って静かにコーヒーを飲みながら、レコードを鑑賞する…という感じなんですか?
(澤島) いや、私が行ってたのは、そんな神経質なところじゃなくて、お客さんがおしゃべりを楽しめるところ。そしてライブがあるところ。当時、ジャズ喫茶といえば、普通にライブをしてたんだ。
銀座の「ジャンク」や「JAZZ・ギャラリー8」へは年中行ってた。「不二家ミユージックサロン」や「新宿ピットイン」もよく通ったね。今から考えるとすごいメンバーが演奏していた。
あとはキャバレーの「ニュー美松」。夜はキャバレーになるんだけど、昼はジャズ喫茶で、クレージーキャッツとか人気のあるグループでも、コーヒー1杯で聴けた。
みよちゃん チャージ無しでライブが聴けたんですか!
(澤島) 当時のライブは特別に料金を取ってやる、というんじゃなかった。私のジャズの“母校”ともいうべき「イトウ」も、BGM的にジャズを流しているような店だったけど、ご当主の伊藤さんがお客さんと一緒にレコード・コンサートみたいなのを運営したり、上野の映画館で、映画と映画の間の休憩時間にレコードかけて解説したり。大橋巨泉もよく来ていたけど、昭和40年代、50年代の東京はジャズが街中に流れていて、今よりずっと身近な音楽だったんです。
みよちゃん そして、澤島さんも、どんどんジャズにのめり込んでいった、というわけですね。
(澤島) 生まれて初めて買ったレコードがアート・ブレイキーの『ザ・フリーダム・ライダー』。でも、どんな人なのかも知らずに、白・青のブルーノートのレーベルにひかれて買っただけ(笑)。そんな入り方。
だけど、このレコードを買ったことでウェイン・ショーター(テナーサックス)を知って、こんな吹き方もあるのかと感心して彼のレコードを集めだした。これが、レコードコレクションの始まりかな。
そのうちショーターに飽きて、次に追っかけたのがコルトレーン。だけど、そっちも「これ以上はついていけません」……(笑)という時期がきて。そして、水道橋の「スイング」の集まりに行ったら、スイングやディキシーランドジャズをやってた。で、「こっちの方がぜんぜん楽しくていいや」ってんで、モダンジャズのレコードは全部捨てちゃった。
みよちゃん へー! このあと、いよいよお話は佳境に入るわけですが、続きは次回ということで。
本日は、ありがとうございました。

■プロフィール
澤島孝夫(さわしま・たかお)
東京・上野の蕎麦店「蓮玉庵」6代目当主。1938年、東京池之端仲町生まれ。中央大学商学部卒。蕎麦を打つかたわらジャズ鑑賞を趣味とし、30年以上に及ぶ。特にデューク・エリントンのレコード収集は日本一といわれる。国内のみならず海外のライブハウスも徘徊。
著書『東京下町JAZZ通り』はジャズ仲間3名での共著だが、ここでは喬木省三(たかぎしょうぞう)」のペンネームを使っている。その他、蕎麦猪口、落語なども造詣が深く、趣味人として知られる。2000年頃から蓮玉庵でのジャズライブ「ロータス・ジャズ・クラブ」の企画を始めた。
蓮玉庵ホームページ:http://www.rengyokuan.com/

 

 

聞き手:太田美代

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