<白木屋傳兵衛>中村梅吉さんの「隠居の独り言」(3)

■縁日

昔あって、今無くなったものの一つに「縁日」がある。縁日は、屋台など露天の店が道路に並んで商売をするもので、神社仏閣の「縁」のある日を選び、だいたい10日に一度、店を出した。
戦後しばらくは、銀座の1丁目から4丁目までの歩道の両側に毎日縁日が出ていた。これは戦災で通りの商店が焼け、それでも「銀座」に人が集まるので容認されたものだが、世が静まると禁止された。銀座ウラにもあったし、新富町にもあったと聞く。
うちの近所では京橋3町目にあった。「せいしょこさま(清正公)」の縁日は3の付く日で、夕方になると、夜店が出始める。娯楽の少ない子どもたちにとっては大きな楽しみだった。
場所の良い所には金魚つり、風船、風車、どんどん焼き、太鼓焼き、夏ならアイスキャンデー(アイスクリームはなかった)、財布や袋物など小物の店。場所が段々場末になっていくと、「バナナの叩きうり」等のタンカ売などの屋台が並んでいた。
我が家は良家とは言えない普通の家だったが、縁日で食べ物を買うのは禁止。近所の子がアイスキャンデーを食べて急死したからだ。当時の衛生状態はそんなものだ。
バナナの叩き売りは見ていて面白かった。後年、催事で方々の百貨店に出ることになったが、先輩に「催事での売り方は、てきやのタンカばい」と教えられ、多いに参考になった。

中村梅吉(なかむら うめきち)
白木屋中村伝兵衛商店6代目店主。昭和4年(1929)、東京市京橋区宝町3-4(現:中央区京橋3-9-8)に白木屋箒店(現、白木屋中村伝兵衛商店)の長男として生まれる。
区立京橋国民学校(小学校)、東京府立第3中学(現両国高校)を経て、東京外事専門学校(現東京外語大)の蒙古科に入学。蒙古語、中国語、ロシヤ語を習得。昭和37年(1962)から平成15年(2003)まで、6代目店主として家業に勤しむ。
昭和55年(1980)から中央区歴史講座で川崎房五郎氏に師事し、江戸学を開始。隠居後、中央区の文化サポーターや江戸東京博物館ボランティアとして、年間30回以上、講演や街歩きの案内を務めている。
また、東京大空襲の被災者としての証言など、様々な形で江戸—東京の歴史を伝える活動にも関わり続けている。茶道、飛行機模型、手話などなど、趣味も多彩で本格派。

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