<白木屋傳兵衛>中村梅吉さんの「隠居の独り言」(5)

■床屋の役割

江戸ほうきの店「白木屋傳兵衛」の大旦那・中村梅吉さんは御年90歳。    
今回の「ちょっといい話」は、「床屋」を語ります。

江戸時代、幕府は行政の一端を寺院に担わせていた。庶民は全員、自分の菩提寺を持たされ、子どもが生まれると登録して寺に提出した。いわゆる「人別」、今でいう住民票である。
また、幕府は50万人もの庶民を統治するのに、十数名の市中見回り同心しか置かず、あとを民間に押っつけた。それが「銭形平治」だの「人形佐七」たちで、こうした親分たちは町方役人から小額の給料をもらい、わずかな小遣いで子分を雇った。もちろん、子分はそれだけでは生活できないので、大抵は床屋や湯屋(ゆーや)をした。
ここで肝心なのが、当時、町人は決められた床屋へ行く義務があったということだ。自分では床屋を選べなかった。もちろん、そのほうが行政コントロールに便利なため。そこで、床屋や湯屋の場所も、行政が面倒をみた。
そのかわり、床屋や湯屋は義務も負わされた。たとえば奉行所の近くで火事が起きた時には、奉行所の書類の持ち出しなどを手伝い、大水の際は木造の橋が流されないように、橋の踏み板の上に石を並べて重しにした。また、千住大橋などは流されそうになると橋に綱をつけ、岸から引っ張った。こうした有事の人力として、湯屋や床屋が動員された。
町内の連中のたまり場となっている「床屋」を舞台にした古典落語の名作に『浮世床』というのがあるが、こういうことがわかっているといないでは、おもしろさも違う。

中村梅吉(なかむら うめきち)
白木屋中村伝兵衛商店6代目店主。昭和4年(1929)、東京市京橋区宝町3-4(現:中央区京橋3-9-8)に白木屋箒店(現、白木屋中村伝兵衛商店)の長男として生まれる。
区立京橋国民学校(小学校)、東京府立第3中学(現両国高校)を経て、東京外事専門学校(現東京外語大)の蒙古科に入学。蒙古語、中国語、ロシヤ語を習得。昭和37年(1962)から平成15年(2003)まで、6代目店主として家業に勤しむ。
昭和55年(1980)から中央区歴史講座で川崎房五郎氏に師事し、江戸学を開始。隠居後、中央区の文化サポーターや江戸東京博物館ボランティアとして、年間30回以上、講演や街歩きの案内を務めた。また、東京大空襲の被災者としての証言など、様々な形で江戸—東京の歴史を伝える活動にも関わり続けた。2020年逝去。

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