こんにちは、東都のれん会です。

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4月の旧暦での呼び名は卯月(うづき)。その名のとおりウツギの花「卯」の花が咲く時期です。卯の花は枝先に小さな白い花が密集して咲くのが特徴で、大豆から豆乳を絞ったあとに残る「おから」を「卯の花」と呼ぶのも、おからがこの花の姿に似ていることから。庶民が豆腐を食べるようになった江戸後期から史料にも登場します。
東都のれん会から、日々を楽しく豊かにする4月の話題をお届けします。

【4月の祭り/ 日本橋 弁松総本店 当主・樋口純一さんがご紹介する「春の名橋 日本橋まつり」】
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4月3日は日本橋の開橋記念日です。
明治44年(1911)に今の日本橋が架けられました。それまでは木の橋でしたが、初めて石造りの二重アーチの橋として生まれ変わりました。江戸の残り香を立ち込めつつ、街がどんどん洋風に変化していく中で、日本橋も和洋折衷のデザインとなりました。
そして、関東大震災、東京大空襲と街は二回消失してしまいましたが、日本橋はびくともせず110余年の間、街の変化を見守り続けてきました。

魚河岸のにぎわい、大小様々な商店が入り乱れる街並みも、今ではすっかり三井村になりました。しかし、そのおかげで船着場や桜並木、いろいろな商業施設もできて、ここ数年で街も賑やかになりました。橋の上の獅子と麒麟も頻繁にシャッターを切ってもらえて嬉しそうです。

いつの頃からか悪者になってしまった橋の上の高速道路。作られた当時は街の長老世代が万歳をして歓迎したそうです。しかし、完成したものを見て絶句したとか。その長老世代が自分たちの目の黒いうちに高速道路を外すと息巻いておられましたが、今ではすっかりその目も濁ってしまいました。けれども、ようやく高速道路を外す計画が動き出しました。
まだまだ長い時間がかかりますが、濁った瞳に映る青空の広がる日本橋に繋げるために、次の世代もその次の世代も日本橋の歴史と心意気を継承して街を盛り上げたいです。

そんなわけで、日本橋の開橋記念日をお祝いして毎年4月の第1日曜日には橋のたもとで「名橋 日本橋まつり」が開催されます。地元の老舗や、なぜか地方からもたくさんのお店が出店。開橋の時の賑わいを垣間見ることができるかもしれません。

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明治44年の「日本橋開橋式渡り初め光景」 (日本橋弁松の古絵葉書コレクションより)

●日本橋弁松総本店  https://www.benmatsu.com/ 
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